青いドレスのナナ
以前の日記に書いた、バンコクのマツダの話をもう一度書いてみたい。彼はボクが出会った中で、最も図太い部類に入る興味深い人間だ。当然、ナイスガイでは決してない。
* * *
マツダにはカンボジアのプノンペンに女がいた。前の日記に書いたとおり、彼女は置屋で働いていて、後にマツダの妻になる。本名はずいぶん長いので覚えられなかったけど、それはマツダも同様で、いつもただ「リン」と呼んでいた。
マツダと初めて会ったのはバンコクのカオサン通りの中ほどで、大きなリュックサックと自転車を入れた輪行バックを背負ったボクを珍しがって声をかけてきた。その場でお勧めの宿を教えてくれたので、素直にそれに従った。CH2という典型的な日本人宿だった。
長期旅行者は基本的に暇だ。宿のロビー以外にも、いくつか溜まり場があって、そのひとつがカオサン通りのマッサージ店だった。風俗店ではなく、古典的なタイ式マッサージの店だ。今は潰れてしまったようだけど、当時は日本人がオーナーで、暇な旅行者が自然と集まる敷居の低い店だった。
マツダとボクは、ここでよく働いた。金をもらうわけじゃないけど、いつも長居するうえに飯も食わせてもらうので、そのお礼に店を丁寧に掃除した。ボクはビルクリーニングのバイト歴が長かったので、スクイジで窓の汚れをとるのが上手い。マッサージ店の窓ガラスはいつもピカピカだった。
だいぶ打ち解けてから、マツダにソープランドに誘われた。そのときは風俗体験が初めてということもあり、性病になる恐怖もあったので気は進まなかったけど、話のタネに一度行ってみることにした。正直、マツダに馬鹿にされたくないという変な意地もあった。
例によって、マツダはどこから調達したのか、トゥクトゥクを器用に運転してCH2の前に乗り付け、後部座席にボクを乗っけて出発した。
ボクらの行ったソープランドは、ガラス張りの向こう側がひな壇になっていて、そこに番号札を付けた女の子が並んでいる。中にはニューハーフも混ざっている、という話もときどき聞く。愛想のいい娘もいれば、無関心を決め込んでる娘もいる。残酷に映るのは、ドレスの色で女の子の値段が決まっていることだ。簡単に言えば、美人は赤いドレスを着て2,000バーツ、ブスは白いドレスを着て1,000バーツ。その中間が青いドレスで1,500バーツといった具合だ。
この光景に圧倒され、海外での風俗初体験のボクは緊張した。結局、誰も指名できなかった。そのソープランドには普通のタイ古式マッサージ店も併設されていたので、そっちに行くことにした。マツダがプレイを楽しんでいる間に、ボクはマッサージ師のおばさんに健康的でアクロバティックなマッサージを受けた。終わってから盛んにチップをねだるので500バーツ渡した。この話を後でマツダにしたら、大笑いされた。そりゃそうだ。カオサンのマッサージ屋では50バーツもチップを渡せば大喜びされる。
そこのソープにはナナという女の子がいた。後に、青いドレスの7番だからナナと名付けられたと言っていた。初めて店に行ったとき、マツダが赤いドレスと一緒にプレイルームに去ってから、彼女は窓ガラス越しにボクを観察していたらしい。結局、誰も指名できずにコーラを飲んでから、普通のマッサージ店のほうに消える様子をずっと見ていたという。午前4時ごろに店が終わって、女の子たちとマツダとボクが店の前でたむろしていたら、ナナがボクに話し掛けてきて、名刺を渡した。誰かに書いてもらったんだろう、手書きの日本語の名刺だった。
ナナは英語は堪能だけど、日本語はほとんど喋れないので、日本語を教えてほしいと言った。じゃ、その代わりにタイ語を教えてほしいとボクは言った。それからバンコクに滞在中、ナナとの付き合いが始まった。
色々話した。
日本人は乱暴をしないので日本人の客を増やしたいとナナは常々言っていた。これには妙に納得させられた。ナナはタイ北部のチェンラーイの出身で、時々、白人の親父(客)とパタヤ辺りに泊まりでデートしに行く。その時は、ボクらの語学教室は休みになるので、ボクはカオサンのマッサージ店の窓を掃除する。マツダは、気が向いたらプノンペンに小旅行に出かけた。
都合2ヶ月以上滞在したボクのバンコクでの生活は、だいたいこんな感じだった。
今日の日記のタイトルは「エンガラの7番」にしようとしたけど、センスがないと思ったのでやめた。エンガラというのはソープの名前。7番のナナは、小柄で可愛い彼女にとっての商売上の番号であり、ニックネームでもある。
* * *
時々想い出に浸って、みんな幸せになったんだろうか、なんて思ったりすることがある。そんなとき、歳をとったなと実感する。おしまいです。だいぶ書き散らかしました。
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